この言葉は『二宮夜話』にあるもので、正確にはその一部だ。この件の全体を記すと、「多く稼いで、銭を少く遣い、多く薪を取って焚く事は少くする。是を富の大本、富国の達道という。然るに世の人是を吝嗇といい、又強欲という、是心得違いなり」だ。
二宮金次郎、実名を尊徳(たかのり)、世間での名は“そんとく”。農政家としての尊徳が救った村は605カ町村、彼独自の仕法をもって根本から建て直したもの322カ村、一人の困窮民も借財もなく村を再生させたもの200カ村を超える。
尊徳がユニークなのはその卓抜な金銭感覚だ。一枚の田から何石の米がとれるか、その米を換金すればいくらになるか。「米倉に米俵を積み上げ、何年持っていても米は増えぬ」。が、この米を売った金を巧みに運用すれば、二倍も三倍もの利息が稼げるのだ−と説く。「農民たち個々の零細な金でも、まとまれば大きくなる」。それを貸し付け、利に利を生ませ、その利益を村に還元し農地を改良し…と尊徳は、農民信用金庫への構想を熱っぽく語り続けてやまない。今から140年前のことだ。
尊徳の仕法は「勤労」「分度」「推譲の精神」に徹することによって実行される。推譲の精神とは、「人間の勤労には欲がある。それが当然だ。欲があればあるほど、働き甲斐があり、また得られるものも多い」としながら、「しかし、得られたものを自分のためだけに使うのは、自奪というべきで、決して褒められたことではない。成果が得られたら、今度はそれを他人に譲るべきで、他人のために用立てるべきだ」ということだ。だから、推譲というのは、働いて得られた益を譲るということで、ただあるものを譲るということではない。尊徳の推譲の前提には、勤労ということがはっきり据えられている。勤労のない譲与など意味がないということだ。
武家の家政の建て直しを乞われて、尊徳が行った独自の仕法を端的に表現したものが次の言葉だ。「推譲の道は百石の身代の者、五十石の暮しを立て、五十石を譲ると云。この推譲の法は我が教え第一の法にして則ち家産維持かつ漸次増殖の方法なり。家産を永遠に維持すべき道は、此外になし」(『二宮夜話』)。
また、1000両の資金で1000両の商売をするのは危ないことだ。1000両の資本で800両の商売をしてこそ堅実な商売といえる。世間では100両の元手で200両の商売をするのを働きのある商人だとほめているが、とんでもない間違いだ−という。バブル経済のなかで狂奔していた虚業家たちはもとより、金融ベンチャー企業の事業家たちにとくに聞かせたい言葉だ。
二宮金次郎は戦前、小学校の校庭にあの銅像、薪を背負い歩きながら本を読んでいる苦学少年といったイメージが強い。しかし、その実家は相模国栢山村(神奈川県小田原市栢山)の裕福な農家で、二町三反の地主でもあった。ところが、父の代でまたたく間に財産を減らし、酒匂川の氾濫で田畑は濁流にのみこまれ、後に残されたのは石河原だけだった。二宮家が貧乏のどん底に叩き込まれ、薪を背負った少年「二宮金次郎」が登場するのはこのころのことだ。14歳で父を、16歳で母を失った金次郎は母の実家に引き取られた弟二人と別れ、伯父のもとで働くことになった。これが苦学少年イメージの原点だ。
(参考資料)内村鑑三「代表的日本人」、童門冬二「小説 二宮金次郎」、神坂次郎「男 この言葉」、奈良本辰也「叛骨の士道」